2010年 2月 編集後記
新年互礼行事で終始した1月。名刺を整理しながら、新年会の講演での「知人から友人に」との言葉を思い出した。単なる名刺交換から、仕事の利害を超えた人間関係に変換させる必要性は、日本の在り方も示唆している。伝統や技術など自国の誇りを自覚してアジア全体と繋がる。まさに「個人の幸福なくして地球全体の幸福はありえない」との宮沢賢治の言と重なる
眼前の経済活動で右往左往して自分を見失わないようにしたい。金銭に代えられない大切なもの。仕事から学ぶことは多い。リタイア後への指針としても切磋琢磨しよう。(安)
2010年 1月 編集後記
寅年新年。国の「虎の子」が心配だ。「こども手当」の財源が問題なのだという。地方自治体が負担を強いられるのか、増税になるのではと、識者の意見が、かまびすしい。ただ経済に無知なわが身にでも分かることはある。親は自分の身を始末してでもこどもにひもじい思いをさせたくはない。が、それも限られた家計の範囲内でののこと。予算が立てられなくて、他にツケが回るならば無茶はしない。下手な借金をすると、ゆくゆくは愛するこどもの負担になるからだ。(安)
2009年 12月 編集後記
一人の人間が一生に出会える人や物事のキャパはたかが知れている。限られた人生。これからどれほどの出来事が自分を待ち構えているのだろう。日常に埋没しているうちに、習慣や惰性に流されてカチカチになってきた頭と心。命を無駄に消費しているのかもしれない。ふっと身中から湧き上がる飢餓感や期待感に身がすくむ。そんなとき思い出す。昔、上司から言われた言葉。「映画は人生を数倍も豊かにしてくれる」と・・・
心に雨が降っていようと、好奇心の芽は摘みたくはない。いつしか映画は心の常備薬となっていた。 (安)
2009年 11月 編集後記
はじめまして。9月からアゴラで記者修行をしています、松井愛です。
私事ですが、今月はラブリーフェスタとすさみフェアin寝屋川という二つのイベントに参加させていもらいました。お祭り大好きな私ですが、これまでは客の立場でしかなく、今回初めて裏側の大変さや運営する人の思いに触れられた気がします。
出演する人たちもみんな「好き」でやっている人たちばかり。「好き」の気持ちが持つパワーに刺激を受け、元気をもらいました。
人生初の司会で、ご迷惑をおかけしたかと存じますが、どうかご愛敬!
2009年 10月 編集後記
ある訃報に接し、言葉を失くした。30年近く発行を続けてきたタウン誌の女性編集者が黄泉の国に旅立った。64歳。現役での死。走り続けてバタッと倒れたという感だ。編集者としてはもちろん、大阪市の地域おこしの立役者として、その活躍ぶりはつとに有名。行政から供花も出されたというから言わずもがなである。同業の徒として、心からご冥福を祈る。
新型インフルエンザの対応はこれからが山場。健康管理は自己責任とはいうものの元気に働ける体力を過信して自身はいい加減なのも事実。ふと亡き編集長に思いを寄せてしまう。
2009年 9月 編集後記
人の顔には、人となりの歴史がそのまま刻まれる。美醜とは関係なく、「いい顔」「悪い顔」が出るようだ。古では、40歳から10年毎に年祝いをした習慣があったという。思想、行動が顔に変化をもたらせるから節目毎に来し方行く末を見つめるという事か。還暦は、干支が60年で1回りして、元に還る祝いだが、心を原点回帰させるのは至難だ。
誰もが生まれた時の真っ白な心を一律に身中に持っている。政治家もしかり
2009年 8月 編集後記
夏の七草は、シロツメクサ、アカザ、イノコズチ、ヒユ、スベリヒユ、ヒメジョオン、ツユクサらしい。
第二次世界大戦中、日本学術振興会学術部・野生植物活用研究小委員会が選定した。その由来本には「焼け跡にもたくましく生える食べられる植物」として列挙されている。食糧が極度に不足し、空襲の合間を縫っては食物の買い出しに苦労していた頃、人々の生きる手段と直結していた「夏の七草」。食料が豊かになり、見向きもされなくなったこれら雑草たち。今の時代をどう見ているのだろう。
終戦の8月、雑草を食べる時代に戻りたくはないけれど、ひ弱になった精神は取り戻したい。
2009年 7月 編集後記
日本人は農耕民族だ。いや、だった昔。結(ゆい)という言葉が生きてきた。農や生活の営みを維持していくために労働力を対等に交換し合って共同作業を行う相互扶助組織が結である。
小さな集落や自治単位での共同作業制度。一人では多大な期間、費用、労力を必要とする作業を集落住民が総出になって補い合う。沖縄の方言では「ゆいまーる」という助け合いの和。
今、拝金主義が助長され、人と人の関係が希薄になり孤立感を抱えたまま、人は心の格差社会の渦の中。
だが希望はあった。
有機農法が繋ぐ結の精神。
地球の向こう側からの発信に新鮮な驚きを感じた。
2009年 6月 編集後記
新型インフルエンザでの風評被害を懸念する。初感染者が寝屋川市の高校生と判明してからの地域の人々の疑心暗鬼。関西圏に及んでからは感染不況ともいえる庶民生活や企業活動鎮静化。品切れマスクを求めて行列をなす。
聞けば、国際交流先のアメリカ、カナダではマスク姿は少数派。感覚の差が感覚の差が国際交流に影を落としかねない。
水際で食い止めるという厚労省の宣言は国民の不安を助長して、右往左往。さて、どう立ち向かうか?相手はインフルエンザだけの問題ではない。見えない不安は常にある。自分というブランド価値が今こそ問われる。
2009年 5月 編集後記
メールアレルギーだった時期がある。仕事上のパートナーからパソコンに届いた誹謗の内容に深く傷ついたのが原因。互いに顔を合わせコミュニケーションが円滑にとれていたのが一瞬にして崩壊。感情をそのまま叩きつけた文面はアクセスが早い無機質な空間だけに心が凍りついた。
ところがメールの効用も知った。予期せず顔見知り程度の購読者からのメール。忙中閑あり。しばしの間のメール交換は、新鮮な交流となった。なるほど、距離が埋まる合理的手段かもしれない。
ただ恋は、やはり手紙で・・・。
2009年 4月 編集後記
こんな春の楽しみ方。
深紅の薔薇の花60本。890円。ありえない!三寒四温の肌寒い風の中、ふとお花屋さんの店先で見つけたラッキー!咲き誇りの華やかな時を持ちながら、箱の中で窮屈そうにしている薔薇の蕾たち。何て素敵な命の輝き。洒落たラッピングをして誰かにプレゼントしたいな、と思ったが、あいにく誕生日や記念日を思い浮かべる人も無し、自分へのご褒美だと、迷わず薔薇を抱えて歩くと風までが優しく肌を撫でるようだ。
たっぷりと花器に放たれた薔薇。残りはお風呂に浮かべて蕾が花開く様を楽しんだ。贅沢な春。
2009年 3月 編集後記
〜天と地をめぐって動く命の流れを静かに受け入れてごらん、自分の身の上でくよくよするなんてちょっと馬鹿らしくなるよ。〜
老子のタオ(道)を詩人の加島祥造氏が訳した一節。老子は2500年前の中国の思想家。「老子は人間にある宇宙意識と社会意識の間のバランスを語る」とその著にある。空と大地。つかめないものとつかめるものの間にあるもの。人間は、自然と一体化しながら命をつないできたことを知る。
科学エネルギーに依存しすぎ環境破壊を起こしたら今、自然エネルギーを活用する企業の取材を通して、タオの言葉が蘇った。